また、島田は戦国時代から江戸時代にかけて、幾人もの刀鍛冶の名工を輩出した土地でもあります。弊社発祥の地の付近(現在の地名:祇園町)は、島田鍛冶を代表する刀工一族が居を構えていた場所です。
中でも島田鍛冶の棟梁「義助(よしすけ)」は、最も名声が高く、初代義助は備前伝(※)の作風から後に相州伝(※)や美濃伝(※)を取り入れた作風へと、時代の流れを取り入れた研究熱心な刀鍛冶師でした。
刀鍛冶にとっても、刀の材料となる質の良い砂鉄と鍛錬に必要な高温で燃える赤松の炭が必要だったことから、ここに花火と刀の共通項を見ることができます。
同じ頃、鉄砲や火薬、そして観賞用の花火が伝来します。
古文書「駿府政事録」には慶長18年(1613年)、当時の中国の王朝、明の商人がイギリス人を連れて駿河国の徳川家康を訪ね、城内で花火を鑑賞したと書かれています。
定説「日本で最初に花火を観た人物は徳川家康」の根拠となる記録です。この花火が徳川家の鉄砲組を感化し、駿河国で花火の製作が始まったと言われています。